土の器

宮本牧師のブログ

暖かさ

木曜日であった。空はねずみ色であった。・・・ 神父は私に声をかけてくれた。ぼたん雪が降っていた。 「あなたは少年時代から、キリスト者の生活の目的とは何かということを探し求めてきた。・・・ 今、あなたにその真の目的を教えてあげる。・・・ キリスト者の生活の真の目的は、聖霊を獲得することである。・・・」 その時、セラフィーム神父は私の肩を固くつかんで、言った。 「我々は聖霊の充満の中に居る。・・・」 セラフィーム神父は聞いた。「今、何を感じるか」 「最高に『良い』気分です。」  「また、何を感じるか。」 「不思議な甘美さを。」 「また、何を感じているのか。」 「心の中で非常な喜びを。」 「また何を感じるか。」 「非常な暖かさを。」 「何?暖かさを?私たちは今、森林の中に居て、冬の最中ではないのか。 雪は私たちの足元にあるし、降り続けて、私たちを覆っている。 どのような暖かさなのだろうか。」 「サウナに入浴するときのような暖かさ。」 「神の友よ、・・・足元の雪、私たちを覆う雪を見てごらんなさい。 全然溶けない。暖かさは大気中にあるのではなく、私たちの内にあるから。 『あなたの聖霊は私たちを暖めますように』という祈りの中で、 聖霊はその暖かさを求めさせるのである。 この暖かさは男女の隠遁者たちを冬の寒さから守り、 聖霊によって織られた服をまとわせたかのようであった。 聖霊は私たちを照らし暖め、言いようのない喜びで私たちを満足させるのである。 神の友よ、我々は聖霊の充満の中に居る。」 (「サーロフの聖セラフィーム」モトヴィーロフとの話し合い抜粋) あなたの聖霊は私たちを暖めますように。