土の器

宮本牧師のブログ

光が差しこんできた

昨年から、礼拝でヨハネによる福音書をシリーズで学んでいますが、9章まで来ました。三浦綾子さんの「新約聖書入門」には、9章の内容が次のように解説されています。 昭和21年春、私は発病して病に倒れた。その熱は肺結核の熱であった。私が結核に倒れると知るや否や、ある宗教の布教師がやって来て言った。「肺結核とライ病は、天刑病と言われているのですよ。これは神様が与えた罰なのです。すなわち肺病は、ハイハイと言わないから肺病になるのです。そして情欲が深いと、この病気にかかるのです。」 その布教師の話では、顔にアザのある人は、前世において夫の顔を踏みつけた人であり、盲人や聾唖者は、前世で何か罪を犯した報いか、親の罪を負っているのだと語った。この布教師のみならず、人はともすれば、病気や災難を何かのたたりか、罪の報いと思いやすい。むろん、不摂生や放蕩、わがままなどの原因で病気になることはある。が、すべてがそうであろうか。世には、全く当人の責任に帰し得ない病気や災難も多くあるのである。それを十把一絡げに、何のたたりだの、罪の報いだの、前世からの因縁だのと決めつけられてはたまらない。 それでなくても苦しんでいるのだ。そうした言葉は、苦痛のなかにある人をますます暗い淵に突き落とすことになるのではないだろうか。ヨハネ福音書音の9章には、次のような記事がある。私はこれを読んだ時、どんなに慰められたかわからない。まさに暗闇の中に光が差しこんできた思いだった。世界中のどれほど多くの人が、この箇所に喜びと希望を見いだしたことであろう。 三浦さんが「これを読んだ時・・・まさに暗闇の中に光が差しこんできた思いだった」と言われた世界に挑戦しましょう。 私たちはヨハネ福音書の7章、8章をユダヤの秋の祭り、仮庵祭の出来事として学んできました。9章については時期を特定するような記述が見当たりませんが、次の10章には神殿奉献祭という12月に祝われる祭のことが出てきますので、9章は仮庵祭から神殿奉献祭の間に起こった出来事ということになります。ユダヤ暦は陰暦の数えですので、太陽暦のカレンダーだと毎年ずが生じますが、今年で言うと、10月3日の夕刻からユダヤ暦では新年(5777年)を迎えます。新年から10日目がヨム・キプール(大贖罪の日)、さらに5日後から7日間、仮庵祭が祝われます。 ただし、注意深く読んでいくと9章にも仮庵祭のテーマである水と光が出てきます。盲人開眼と言われるこの物語は、何と水と光による奇跡の物語、ヨハネが記す7つのしるしの6つ目の奇跡なのです。 今週も大切なことを大切に。