土の器

宮本牧師のブログ

舟の中にいた人たち

パンの奇跡に続き、弟子たちだけが見たイエス海上歩行の奇跡は、ヨハネだけではなく、マタイとマルコの福音書にも記録されており、それぞれに特徴があります。ガリラヤ湖は海抜マイナス200メートルにある湖で、死海に次いで世界で二番目に低い場所にある湖です。すり鉢状の地形ということで、突然天気が変わることがあり、他の福音書を見ると、以前にも嵐に見舞われ転覆しそうになるという経験がありました。今回は逆風に悩まされ、ザッと計算して9時間かけて、4-5キロしか進んでいないという状況です。前回の嵐の時は、イエスが舟の中にいましたが、今回はイエスが共にいないという点においては、弟子訓練としてはより難易度の高い嵐であったと言えるでしょう。 マタイ福音書はこの物語を次のようにまとめます。「舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ。」イエスを神の子として礼拝した「舟の中にいた人たち」とは、嵐を通過した人たちのことですが、頭のてっぺんから足の裏まで水浸しになり、寒さに震え、疲れ果てている者の膝が主の前に折れるとき、そこに真実の礼拝が始まると言うことでしょうか。 ヨハネは舟が動いた距離を記録していますが、マルコは、この出来事が「夜が明けること」に起こったと記録し、時間に注目しています。口語訳聖書では、「夜明けの4時ごろ」と訳されていましたが、それは出エジプト記の14章によれば、朝の見張りのころ(暁の候)と書かれているのと同じ時刻です。それはモーセに率いられたイスラエルの民が、二つに割れた紅海を渡たり、約束の地への旅を始めた時刻だったのです。パンの奇跡を、「過越祭が近づいていた」と書き始めたヨハネの意図は、パンの奇跡を経験した人々がモーセを意識したのと同じように、海の上を歩き、弟子たちを救出し、めざす地へと導かれたイエスが、紅海を真っ二つに裂き、イスラエルを約束の地へと導かれた方であることを信じさせることだったのです。なぜなら、「わたしだ」という言葉こそ、モーセに現れた神が名乗られた名であったからです。聞こえていますか。人生の小舟に打ちつける波や風よりも、もっと確かなあの声を。「わたしだ。恐れることはない。」 今日は午前中、半田の信徒宅で家庭集会が持たれました。名古屋からも参加してくださる方があり感謝です。