土の器

宮本牧師のブログ

永生の希望を語る

「道ありき」「この土の器をも」「光あるうちに」と言えば、三浦綾子さんの自伝的信仰入門書三部作ですが、読書の秋にはお勧めの信仰良書です。その第三部、「光あるうちに」はまさに信仰入門書ですが、綾子さんとご主人の光世さんとのやり取りから、こんなことが書かれています。 三浦などは、「いいじゃないか、死ぬということは。 死んだら、罪を犯す心配もないし、天国に入らせて下さる約束はあるし。 それに、天国では、もう死ぬこともないんだからね」と、 輝いた顔で、永生の希望を語る。わたしは、とてもそういうところには至らない。 クリスチャンの死生観、永遠の命の希望が上手く描かれたやり取りだと思います。綾子さんは、自分ははなはだ命根性のきたない人間で、死は恐ろしい、死に関してはなかなか勝利が取れないということを正直に告白されているわけですが、そのような綾子さんの死に対する葛藤に対して、光世さんは先の言葉を語りました。これは、死を達観した言葉です。普通は死んだら無になるのか、地獄に落とされるのかわからないので怖いと考えます。しかし、光世さんは、「死んだら罪を犯す心配もない」と言いました。光世さんは、死より怖いことは罪を犯すことと考えています。なぜなら人間の死というものは、罪の結果であると聖書は語っているからです。さらに、光世さんは死んだ後の天国の実在に対して揺るがぬ確信を持っています。しかも、光世さんが、天国に入らせていただけると話すのには根拠があって、聖書もそれを「死から命に移されている」と明言しているのです。 今週も大切なことを大切に。