土の器

宮本牧師のブログ

死の陰の谷

ダビデは、人生は死の陰の谷を行く経験であると語ります。私には、この詩が逆境のもとでよまれたように思えてなりません。この詩は一見牧歌的でのどかな感じを受けるかもしれませんが、実際には荒野を行く羊の姿が歌われています。羊の群れが「死の陰の谷」を通り過ぎようとしているのです。パレスチナには、死の陰の谷と呼ばれていた深い谷があり、羊の群れが獰猛な獣に襲われることもしばしばあったそうです。羊飼いの少年であったダビデにとって、「死の陰の谷」は絵空事ではなく、毎日すぐそばにある恐怖でした。 彼は、いま荒野を放浪しながら、人生の総決算を迫られているように感じ、それを「死の陰の谷」としか表現できなかったのです。ダビデは名もない一介の羊飼いに過ぎませんでしたが、神の恵みと選びにより、イスラエルの王となりました。その栄光の頂点にあったとき、バト・シェバ事件を起こしてしまいます。さらにそれが引き金となって最愛の息子アブサロムによるクーデーターを経験しました。自らの罪の刈り入れをするかのようなこの悲劇を前に、ダビデのかつての栄光は消え去り、愛する息子の追跡を逃れて荒野を放浪するダビデは、荒涼たる大自然の中で、自らの小ささを思い、自らの人生に失敗が多かったことに涙し、神の前に言い知れぬ恐れを抱くのでした。これこそ彼の「死の陰の谷」でした。 ダビデだけではありません。すべての人の前にこの「死の陰の谷」は広がっています。もし私が自分の過去を問われるなら、とうてい神の前に立つことなどできません。恐れがあります。それがあなたの「死の陰の谷」です。 サマーキャンプを無事に終え、名古屋に戻って来ました。 昨日は、私たちの家族にとっては懐かしい高浜を訪れることができ、海水浴を楽しみました。