土の器

宮本牧師のブログ

アドラムの洞窟

詩編の27編は、詩編の42編や63編と共通する背景があると考えられていますが、ダビデの生涯におけるいくつかの場面が想像できます。一つはダビデが王に即位する前、サウル王の妬みを買い、王に命を付け狙われていた逃亡期間であり、もう一つは、息子アブサロムによるクーデーターによって、都を落ち延びている頃です。いずれにせよ逃亡生活の期間、荒野にいた時代ということになります。 前者と考えるなら、アドラムの洞窟と呼ばれる場所が当時、ダビデの隠れ家になっていました。サムエル記上22章に放浪中のダビデの様子が次のように記されています。「ダビデはそこを出て、アドラムの洞窟に難を避けた。」その地域は、丘や谷で迷路のようになっており、蜂の巣のようなたくさんの洞穴がありました。ダビデが神を「救いの岩」「砦の塔」「逃れ場」「隠れ家」と歌っているのは、これらの洞窟のことだと考えられます。 ダビデはそこで歌います。「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。」そして、3節の終わりに「わたしには確信がある」と言いますが、新改訳聖書は「私は動じない」と訳しました。現実は2節、3節からわかるように「さいなむ者が迫り、肉を食い尽くそうとする。わたしを苦しめる敵が陣を敷き、戦いを挑んで来る」という状況です。何か血なまぐさい、戦場のような環境に置かれているのですが、ダビデはそこでもうひとつの現実を見ていました。