土の器

宮本牧師のブログ

ひれ伏した

「あなたは私に従って歩み、全き者となりなさい。」この神の前に歩み、この神が語られる言葉に対して、「はい」と答えることです。創世記の17章を読んでいると、2節と4節は、ほぼ同じ内容が語られています。重ねて語ると言うのは、必ずそう成るという意味ですが、その間の3節に、神の言葉に「はい」と答えるアブラハムの姿が「アブラムはひれ伏した(fall facedown)」と描写されているのは感動的です。リビングバイブルでは、「アブラムは地にひれ伏し、顔をすりつけんばかりに聞いていた」と訳されていました。 十分以上になすことのおできになる全能の神の前に、私たちがなし得ることがあるとすれば、それは礼拝です。もし「全き者」というのが、完全な状態だけを意味するなら、不完全な私たちはもうお手上げです。しかし、不完全な私たちにも地にひれ伏すことならできるのではないでしょうか。求められているのは、全能者に対する全幅の信頼です。 ところで、エルシャダイという言葉は、旧約聖書に48回出て来ますが、最も多く出て来るのがヨブ記で21回です。理解できない苦しみの中でもがくヨブの苦悩と独白の書、その中に、くり返し使われる「全能者」との言葉は、ついに彼を真の礼拝者にします。ヨブ記の最後の章には、全能者の前にひれ伏すヨブの姿が描かれています。 明日は一週遅れになりますが、教区のペンテコステ聖会です。全能者の前にひれ伏し、礼拝をささげましょう。わたしたちの内に働く御力(聖霊)によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。