土の器

宮本牧師のブログ

アラバに下り

今週も祈祷会を大切に。祈祷会で開いた御言葉をシェアします。エゼキエル書47章から。 47:1 彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。 47:2 彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。 47:3 その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。 47:4 更に一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。 47:5 更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。 47:6 彼はわたしに、「人の子よ、見ましたか」と言って、わたしを川岸へ連れ戻した。 47:7 わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。 47:8 彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。 47:9 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。 昨日のデボーションガイドで学んだ聖書箇所ですが、神殿から流れ出した水が、「アラバに下り、海(死海)・・・に入って行く」とのフレーズが心に迫りました。アラバとは死海のほとりの荒野、死海とは文字通り生命が生息できない死の海です。そこに命の川が流れ注ぎ込まれると、アラバが、死海が、命に満ちた楽園のように変えられていくとは何ということでしょう。たとえ私たちの状態がアラバであり、死海のようであったとしても、このペンテコステ、命の水である聖霊が注がれるなら、すべては生きるのです。