土の器

宮本牧師のブログ

前提

信仰とは、無いものを数えることではありません。無いものを数え始めると、心細くなります。焦ります。行き詰まります。しかし、神のアブラムに対する約束の言葉は、信仰の言葉です。くり返しますが、聖書はこう言います。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」そして、そのすぐ後にこう書かれています。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」 この「信じていなければならない」という訳はとてもユニークです。もし誰かが、聖書を読めば、神の存在が証明されると考えているなら、それは間違いと言うことになります。なぜなら、聖書は神の存在を証明する本ではなく、神の存在を前提とした本だからです。創世記の最初の言葉からそうです。「初めに、神は天地を創造された。」そこには、神とは誰なのかという紹介も、どういう方法で天地を創造されたのかという説明もありません。神の存在が前提となっているからです。だから聖書は、「恐れるな」とくり返し語ります。神の存在が前提なのですから、心細さや不安、焦りや疑いという不信仰の矢が雨のように降ってきたとしても恐れることはありません。「わたしはあなたの盾である。」