幸運と不運
難破して漂流の末に無人島にたどりついたロビンソン・クルーソーは、毎日の生活をノートに記録した。
私が寂しい島に打ち上げられたことは不運だったが、海で溺れて死ななかったことは幸運なことであった。
私が人間社会から追放されたことは不運だったが、飢え死にしなかったことは幸運なことであった。
服がないことは不運だったが、服が必要ないほど気候が暖かいことは幸運なことであった。
私に身を守る道具がないことは不運だったが、私を襲う 野獣がいないことは幸運なことであった。
話し相手がいないことは不運だったが、神様とだけ交わることができることは幸運なことであった。
難破して航海を続けることができないのは不運だったが、難破した船が海岸近くに打ち上げられ、
必要なものを手に入れることができたことは幸運なことであった。
クルーソーは、幸運と不運をすべて列挙した後、
この世には否定的なことであれ、肯定的なことであれ、
悲惨すぎて感謝できないというものは何もないという結論に達した。
(一生感謝365日)
何が起こっても感謝する体質改善。21日で習慣化するのだそうだ。
明日は1月の最後の礼拝。名古屋では地域の教会も合流して信徒新年聖会がもたれます。
御言葉を待ち望みつつ。