土の器

宮本牧師のブログ

感謝の歌

少々、季節外れですが、最近教えていただいた 「DAYENU」 というイスラエルの過越祭(春の祭り)で歌われる歌です。 あの歴史的な過越の出来事を回顧しながら主に感謝する歌です。 もし主が我らをエジプトから導き出し、彼らに対する審判を行われなくても、それで十分でした。 もし主が彼らに対する審判を行い、彼らの偶像を滅ぼされなくても、それで十分でした。 もし主が彼らの偶像を滅ぼし、彼らの初子を打たれなくても、それで十分でした。 もし主が彼らの初子を打って、我らに富を与えられなてくても、それで十分でした。 もし主が彼らの富を我らに与え、海を割られなくても、それで十分でした。 もし主が海を割られたなら、その乾いたところを歩くことがなくても、それで十分でした。 もし主が海の乾いたところを歩ませ、ファラオの軍隊を溺れさせられなくても、それで十分でした。 もし主がファラオの軍隊を溺れさせ、40年の荒野の旅を導かれなくても、それで十分でした。 もし主が40年の荒野の旅を導き、我らにマナを与えられなくても、それで十分でした。 もし主が我らにマナを与え、安息日を与えられなくても、それで十分でした。 もし主が我ら安息日を与え、我らを神の山に導かれなくても、それで十分でした。 もし主が我らを神の山に導き、我らに律法を与えられなくても、それで十分でした。 もし主が我らに律法を与え、我らを約束の地に導かれなくても、それで十分でした。 もし主が我らを約束の地に導き、そこで我らを増やされなくても、それで十分でした。 昨日は南山大学で日本語の勉強しているアリゾナから来ている学生さんがHPを見て礼拝に来られました。 流暢な日本語で、来会者カードも、漢字、ひらがな、カタカナで記入しておられビックリでした。