土の器

宮本牧師のブログ

つかむ手、見る目

ヘブル人への手紙11章1節では信仰が次のように定義されています。これは現代訳です。「信仰とは将来に起ることを確かなものとしてつかむ手であり、まだ見ていないものの確実な証拠を見る目である。」そうです。信仰とは未だないものをつかむ手です。まだ見えないものを見る目です。私たちの目には何が映っているでしょう。現代の複雑な問題、目の前にある困難、惨めな自分自身の姿・・・。しかし、信仰とは、それらを超えて、神が見ておられるものを見る目であり、それをつかむ手なのです。 カンフー映画で一世を風靡したブルース・リーは優れた格闘家でもあったそうですが、彼の優れた点は、ヒットすべきターゲットよりも、さらに6インチ(約15センチ)先を見ながら闘うというスタイルであったそうです。それを聞いたとき、私たちの信仰のターゲット、信仰の視力は浅すぎないかと思わされました。目の前の問題が問題ではなく、その先を見、つかむことのできない私たちの信仰が問われているのです。主はあなたの今でも、今まででもなく、今からを見つめておられるのです。 あの日から二千年、ついに御国の福音が全世界に、地の果てに至まで届けられようとしているこの時代こそ、あの日、主が見られた大いなる収穫の時代なのです。私たちも信仰の目を上げ、イエスが見られた大収穫を見、つかみましょう。「目を上げて畑を見るがよい。はや色づいて収穫を待っている。刈り入れる人は・・・永遠の命に至る実を集めている。」「あなたも行って働きなさい。」 日曜の朝は教会へ。日曜礼拝は朝10時30分から。ぜひお近くの教会にお出かけください。