柔和な王
マタイは、イエスのエルサレム入城が、預言者ゼカリヤを通して言われていたことの成就であったと記しています。子ろばに乗った王とは、どのような王でしょう。ろばは古代オリエントで好んで用いられた旅行用、運搬用の動物でした。特に、馬のいなかった昔のイスラエルでは、士師や預言者、王もろばに乗っています。歴史的には、ソロモンがエジプトから大量の馬を輸入してからは、ろばを用いた王侯貴族はなくなります。
ところで、イエスの時代、ユダヤの人々はローマ帝国の占領下にあり、あらゆる点で虐げられた生活をしていました。彼らの唯一の願いは、英雄的な解放者が現れ、ローマ帝国を粉砕し、その圧政からイスラエルを解放してくれるメシアに集中していました。彼らが待ち望んだメシアは、軍馬にまたがり、剣を手にした勇ましい英雄だったはずです。ところが、イエスはそれとは真逆の姿で、エルサレムに入城されました。
マタイのゼカリヤ書の引用を、ゼカリヤ書の本文と比べてみてください。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い(義なる者)、勝利を与えられた者(勝利者)、高ぶることなく(ここが柔和と訳されています)、ろばに乗ってくる。雌ろばの子であるろばに乗って」(ゼカリヤ9:9)。
ゼカリヤはろばに乗って来る王について、三つのことを書いているのに、マタイは、はじめの二つを省いて、三つ目だけを引用したのです。それが柔和な王というタイトルです。その第一の意味は、このお方が政治や戦争によって解放をもたらすのではないということです。この方は、子ろばに乗ってやって来るほど、穏やかで柔和な存在であるからです。
もう一つの意味があります。マタイが伝えたかったのは、むしろこちらかもしれません。ここで使われている「柔和」という言葉は「虐げられた(痛めつけられた)」とか、「悩まされた」という意味があります。柔和という言葉の響きからは想像しにくいかもしれませんが、子ろばに乗た柔和な王とは、これから起こることを、すでに暗示しているようなタイトルであり、虐げられ、悩まされる王のことだったのです。
今日は午前中、市内2ヶ所で家庭集会がもたれます。祝福がありますように。