土の器

宮本牧師のブログ

異口同音

詳訳聖書ではこうなっています。「 私はさらにまたあなたたちに告げる、あなたたちの中のふたりが、なんでも願いをするときに、もし地上で一致する〈協調する、異口同音となる〉ならば、そのことは天におられる私の父によってその人々のために実現する〈そのとおりになる〉。なぜならば、ふたりまたは三人が、私の名によって集まる所では、それがどこであっても彼らのまん中に私がいる〈私は有る〉からである。」 マタイ福音書の9章、二人の盲人の癒しの箇所でも学んだことですが、ここにマタイの神学があるように思います。実はマタイは9章だけでなく、20章にも盲人の癒しの奇跡を記しています。9章はカファルナウムで、20章はエリコで起きた盲人開眼の奇跡です。所も人物も異なる奇跡ですが、共通点もあります。盲人がいずれも二人組であったという点です。二人というのがマタイのこだわりです。マタイの8章で、悪霊に取りつかれた人が二人癒されているのも、27章で、主の墓に前に座したのが、マグダラのマリアともう一人のマリアであったというのも偶然とは思えません。これはマタイから教会へのメッセージです。27章について言えば、人数が複数であるのに、座っていたという動詞は単数形で記されているのも特徴的で、まさに18章で教えられている祈りに関する言葉を裏付けているように思えます。 あなたがたのうち二人が、夫婦が、親子が、兄弟が、友人が、信徒と牧師が、心を合わせて(異口同音となり)祈り始めるとき、そして伝道を始めるとき、今まで見えなかったものが見えるようになり、不可能と絶望を象徴する墓石さえも動くような奇跡が起こるのです。マタイは、教会とはそういうところなのだと、私たちに伝えたかったのです。教会の中には、裁き合ったり、批判し合ったりしている暇も、余地もありません。愛なる主は、私たちが愛し合い、赦し合い、主の名によって祈り合うところに来てくださるのですから。 今日は午前中、長久手と松阪で家庭集会(聖書講座)がもたれました。主に感謝。いつも集まってくださるみなさまに感謝。御言葉を語ることができて感謝。