何を望むか
礼拝で紹介した渡辺和子先生の「置かれた場所で咲きなさい」から「清く、優しく生きるには」という文章です。
主は問われる
「何を望むか」
「謙遜を」
「次に何を」
「親切を」
「さらに何を」
「無名を」
「よかろう」
この短い詩は、岡山にある玉島というところで、牧師をされていた河野進先生のものです。保育園の園長として、幼い子どもたちと良寛さんのように無邪気に遊び、比較的近いところにある長島の愛生園、邑久の光明園を日曜日ごとに訪ねては、ハンセン氏病の人のために礼拝を行っておいでになりました。また、マザー・テレサのお仕事に感激し、おにぎり献金を集め、自身、カルカッタ(コルカタ)まで届けに行くような活動をするかたわら、数多くの心温まる、真珠のような詩を残した詩人でもありました。
名誉も権力も財産も求めることなく、ひたすら主イエス・キリストが生きたように生きたいと願いながら、1990年に86歳の生涯を閉じておられます。次も、私が好きな先生の詩です。
こまった時に思い出され
用がすめば すぐ忘れられる
ぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕える
ぞうきんになりたい
「求めなさい。そうすれば与えられる」というみことばが、聖書にあります。では「何を」求めたらよいのでしょう。私たちはとかく、自分の健康、仕事の成功、問題の解決などを求めがちです。そんな私たちに、河野先生の詩は、(僕となられた)キリストに倣う生き方をこそ求めるようにと、諭してくれているのです。
「天国でいちばんえらいのは?」
「自分を低くして、この子供のようになる人が、天国でいちばん偉いのだ。」
「主よ、わたしたちはあなたを離れません(おさなごのように小さく無力な私はあなたを離れません)。
命を得させ、御名を呼ばせてください。」