その打たれた傷によって
だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕は、だれにあらわれたか。
彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
---イザヤ書53章1-5節・口語
苦難の僕の歌と呼ばれるイザヤ書53章。
「彼」を「キリスト」と置き換えると、
キリストの苦しみの意味がわかるでしょうか。