土の器

宮本牧師のブログ

湯の冷めぬうちに

道家千利休が、宇治の茶師・上林竹庵から茶会の招きを受けた。利休は数人の門弟を連れて竹庵の家を訪れた。竹庵はたいそう喜んで、さっそく利休たちを茶室に通し、みずから茶を点てて客にすすめた。だが、あまりに緊張したせいか手元がふるえ、茶杓が手の上から滑り落ちたり、茶碗を倒したり、さんざんな不手際を演じた。利休の門弟たちは互いに袖を引き合い、腹の中で冷笑していた。 ところが、茶会がすむと正客の利休が、「きょうのお亭主のお手前は、天下一でござった」と言って、賞賛した。 帰り道、門弟のひとりが利休に尋ねた。「あのような無様なお手前を、なにゆえ天下一などと言ってお褒めなされたか。」「竹庵殿は、この利休に手前を見せようと思って我々を招いたのではない。ただ一服の茶をふるまおうとして招いたのだ。それゆえ、湯の冷めぬうちにと思い、不手際も気に留めずただ一心に茶を点てた。その心意気を褒めたのである」と。 茶の道は形ではなく心だという話です。私たちの礼拝もそうです。形式も大切です。しかし、心はもっと大切です。たとえ人の目には不手際や無作法があっても、格好悪く笑われることがあっても、真心のこもった生きた礼拝をおささげいたしましょう。天下一の礼拝を。