土の器

宮本牧師のブログ

ここにいます

愛である神は、人類の救いのために人となる必然があり、十字架の上で私たちのために死なれる必然がありました。それは別の言葉で言い換えるなら、「愛するものと共にいたい」という神の痛みを伴うほどの渇きでした。それであればこそ、神は超えがたき淵を越えて、「インマヌエル(私たちと共におられる神)」となられたのです。 聖書はこう言っています。「キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。」生まれたばかりのおさなごが、人の言葉で話せたというのではありませんが、確かにこう言われたのです。ここにクリスマスの真実が語られています。 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました。あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。そこで、わたしは言いました。『御覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。』」 「ご覧ください」という言葉は、ヘブライ語新約聖書を見ると「ヒネニー」という言葉が使われています。それは「Here I am」「私がここにいます」というとても強い表現で、聖書に登場してくる偉大な神の人たちが、神の声を聞き、立ち上がるときに、共通して用いた言葉です。しかし、この箇所では、それがキリストの言葉として使われています。人類救済という神の願いを実現するために、神の独り子であるキリストはこの世界に来られたのです。「私がここにいます」と言って。これがクリスマスの真実なのです。 次の日曜日は、名古屋教会のシエキナ聖歌隊みよし市にある豊田教会で聖誕劇を上演させていただきます。 お近くのみなさん、ぜひお出掛けください。入場無料。駐車場あり。