土の器

宮本牧師のブログ

傷んだ葦、くすぶる灯芯

イエスが安息日に会堂に入ると、そこに片手の萎えた人がいました。医者であったルカは、その萎えた手が「右手」であったと注意深く記しています。伝説によると彼は石工であり、左手にのみを、右手にハンマーを持って生計を立てていましたが、その大切な右手が使えなくなってしまったのです。彼は、萎えた右手をぶら下げ、会堂の隅に立ち、ため息をついていたのではないでしょうか。憐れみ深い主は、彼を会堂の真ん中に招き、萎えた手を元どおりにしてくださいました。息の詰まる思いでそこに立っていた彼にこそ、真の安息が必要であったのです。
マタイはその日、多くの病人が癒やされたことを記録した上で、ザヤ書42章に記された「しもべの歌」を引用し、「これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった」と伝えています。「見よ。わたしが選んだわたしのしもべ、……彼は……傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。……異邦人は彼の名に望みをかける」と。
神学校に入学してから夏休みまでの数か月、眠れぬ夜を過ごしたことがあります。周りのみんながすばらしく見え、自分だけが罪深く、何のとり得もなく、使いものにならないように思えたからです。息の詰まるような毎日……。夏休みに帰省し、母教会の先生にそんな話をしました。9月になり、2学期が始まった頃、母教会の先生から1枚の誕生日カードが届き、「楽に呼吸をしていますか?」と書かれていました。自分ではどうにもならない現実に今にも折れそうになっていた私でしたが、その一言で肩の力が抜け、もう一度、十字架を仰ぎ見て、主の安息を得ました。
イエス・キリストこそ、傷んだ葦を折ることなく、くすぶる灯芯を消すこともない憐れみ深い安息日の主です。