土の器

宮本牧師のブログ

おまけ

私たちが恐れなく生きられる理由は、神のまなざしが小さな私たちの上にいつも注がれているからです。「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。」
大宇宙の創造主が、そのからだも魂も地獄で滅ぼすことのできる偉大な方が、一羽の雀のような小さな私たちに、その目を留めておられるというのです。
神殿で神に捧げられるいけにえの中で、雀は最も安価な物でした。どれほど安かったかと言うと「二羽の雀が一アサリオン」です。1アサリオンは、現在の通貨に換算すると数十円と考えられています。興味深いことに、ルカ福音書の記事を見ると、「五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません」と書かれています。「五羽の雀が、二アサリオン」です。マタイの「二羽の雀が一アサリオン」とは計算が合いません。要するに一羽の雀というのは、1アサリオンにもならないので、2羽で1アサリオン。しかも、5羽まとめ買いをすれば2アサリオン、1羽はただ、おまけということになります。よく聞いてください。そんな価値のないものと思われ、おまけのような一羽の雀が私たちなのです。そして、そのような一羽の雀である私のことも、神は忘れることがないと言ってくださるのです。
映画『天使にラブソング』で広く知られるようになった「いちわのすずめに」というゴスペルは1904年、ミセス・マーチンによって作られた曲です。ある日、ミセス・マーチンが、重度の身体障害で寝たきりの友人を訪ねました。彼女は友人の様子を見て心を痛めましたが、友人は言いました。「どうして私は心うなだれたり、悲しんだりできるでしょう。小さな、小さな一羽の雀にさえ、目を留めてくださる神さまは、何もできないこんな私さえ愛して、守り支えてくださるのですから。私は幸せです。」友人の言葉を聞き慰めを受けたミセス・マーチンが作ったのが「いちわのすずめに」なのです。
今日も一羽の雀に注がれている神のまなざしが、私たちにも注がれています。だから、恐れなくていいのです。

次の日曜日は教会の暦では棕櫚の聖日です。キリストの最後の1週間(受難週)が始まります。