今週も祈祷会を大切に。
御言葉をシェアします。マタイの福音書15章22-28節
今週の祈祷会も、秋期聖会のメッセージを深めるシリーズ。第2聖会のメッセージ「異邦人教会のシンボルであるカナンの女の信仰」をなぞりながら学びました。
イエスの三度にわたる拒絶にもかかわらず、娘の救いを求め続けた母親の祈り。最初は無視とも思える沈黙から始まり、最後は小犬呼ばわりされてしまいます。しかし、彼女のおおらかで、マイナスをプラスに変える信仰は退くことを知らず、イエスの御心に迫って行きました。ある意味、沈黙されることはダメと言われるよりもキツいことかもしれません。しかし、彼女は知っていたのです。イエスがこの叫びを聞いてくださっていることを。イエスは沈黙していましたが、彼女の声を聞いていたのです。だから、もし、これは神の御心ではなかったと私たちが勝手に決めつけ、どこかにしまい込んでしまった祈りがあるなら、もう一度それを引き出してきて、祈ってみましょう。
昨日のデボーションで、同じ記事をマルコの福音書で読みましたが、イエスの最後の言葉が「そこまで言うのなら、家に帰りなさい」となっていました。これは「その言葉が聞きたかった」という意味です。この物語は、最後にイエスが彼女のうちから、聞きたかった言葉を聞くという結論に至ります。イエスが聞きたいと願っている祈りが、私たちのうちから湧き上がりますように。
「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」