土の器

宮本牧師のブログ

くするぶる燈心

「二人は暗い顔をして……」。主の十字架という、凍りつくような経験が、二人の弟子の心を曇らせていました。彼らは言います。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。」この箇所の時制は、すべてが過去形で語られています。「もうすべてが終わってしまった」という感じです。かつては心躍らせて信じていましたが、今はもうそうではないのです。信仰はいつも進行形でなければなりません。 しかし、そんな彼らの折れて消えそうな信仰のともし火を主は再び燃やしてくださいます。主は痛んだ葦を折ることも、くすぶる燈心を消すこともないお方だからです。
「ああ、物分りが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」こう言って、主はモーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自身について書いてあることを解き明かして行かれました。弟子たちの心に再び希望の灯りが点されました。そして、その夕べ、食卓を囲み、主がパンを裂かれたとき、ついに彼らの目が開かれたのです。ここに心燃やされる出会いがあります。