土の器

宮本牧師のブログ

愛は多くの罪をおおうからです

ヨハネ福音書21章を見ると、ガリラヤ湖畔で、復活されたイエス・キリストが弟子たちにご自分を現された時のことが詳しく記されています。奇跡の大漁を経験した弟子たちが陸に上がると、炭火がおこしてあり、朝食の準備が整っていました。イエスを囲んで朝の食事が始まります。弟子たちにとって、幸いなひと時であったにちがいありません。しかし、ただ一人炭火を見つめながら悶々としている弟子がいました。シモン・ペテロです。食事が済むと、イエスがシモン・ペテロに語りかけます。『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。』」
ここから、ペテロとイエスの対話が始まりました。ペテロはこう豪語していました。「主よ、たとえこの者たちがあなたにつまずこうとも、私は決してつまずきません。死ぬ覚悟もできています。」ペテロの言葉に嘘はなく、心底そう願っていたのですが、その場にいた他の弟子たちは憤慨しました。ペテロの過ちは、自らの弱さを自覚していなかったという点です。また、他者を悪く言い、自分の立場を高めようとすることも問題でした。イエスの問いかけは、そんなペテロがどれほど成長しているかの試金石となりました。もし彼が「はい、私はここにいる誰よりも、あなたを愛しています」と答えるなら、彼は以前のままで、このあと教会のリーダーとなる準備がまだできていないということになりますが、ペテロは、何のてらいもなく淡々と答えています。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」
するとイエスは、もう一度、さらにもう一度、つまり三度も同じことをペテロに尋ねます。それは、あの夜、彼が三度イエスを否んだ過ちを帳消しにするためでした。ペテロは、イエスが三度目も、『わたしを愛していますか』と言われたので、心を痛めました。しかし、キリストの十字架と復活は、その痛みを癒やし、彼をそこから立ち上がらせることができたのです。ペテロの手紙にこう記されています。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」と。