土の器

宮本牧師のブログ

君が私の手になるのだ

戦火に焼かれた町で、教会堂の再建がいち早く始まりました。瓦礫と化した会堂を取り崩して、片付けていると、両手を失ったキリストの御像が出てきました。やがて、新会堂が完成すると、新しくキリスト像を建てようという話が出ましたが、両手を失った御像があることを思い出し、取り出してきました。人々は、この痛ましいイエス像を見、それをそのまま使うことにし、台座にこう刻みました。 「Christ Has No Hands, But Ours(キリストは手を持っていない。私たちのほかに)」と。 実は、東京の三鷹にあるルーテル学院大学の神学校にも手のないキリスト像があって、学校の宝物になっているそうです。チャプレンがこう言っています。「手のないキリスト像は学生に静かに、かすかな聞こえない声で語りかけます。『君が私の手になるのだ』と。」そして、「ここで、神学を身に着けることも大切だが、『収穫は多いが働き手が少ない』(マタイ9:38)」との声に応えてほしい」と。 ヨハネによる福音書ではパンの奇跡に独特なメッセージを持たせるために、まるでイエスが一人でパンを配られたように書いているのが特徴ですが、他の福音書では、パンを配る弟子たちの姿が描かれています。これこそ今年の標語である「教会はキリストの体」というメッセージなのです。 イエスは言われました。「あなたがたの手で食物をやりなさい」(ルカ9:13口語訳)。そう言われたイエスは、「天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。」