土の器

宮本牧師のブログ

夜ひそかに

スイスの哲学者カール・ヒルティをご存じでしょうか。日本では『幸福論』や『眠られぬ夜のために』の著者として知られています。『眠られぬ夜のために』という題名からすると、眠れないときに、どうしたら眠れるのかが書かれていると思われるかもしれませんが、そうではありません。眠れない夜はつらいものですが、その眠れない貴重な時間を、自分自身をふり返り、もっと大切なことに思いを馳せるために使いましょうと教える本です。 ヒルティは言います。「眠れない夜をも神の賜物と見なすのが、つねに正しい態度であろう。それは活用されるべきものであって、むやみに逆らうべきではない。・・・そういう時にこそ、ふだんよりもはっきり聞こえる、あの静かな声に耳を傾け、そして他の一切の考えを退けるのが正しいであろう」と。眠られぬ夜でなければ聞くこのできない声があるなら、その声にていねいに耳を傾けたいと思います。 ヨハネ福音書には眠られぬ夜にイエスを訪ねて来たニコデモという老人が登場します。それが先ほど、お読みした箇所です。イエスとニコデモとの深夜の対談はよく知られたストーリーで、二人の対話が、あの有名な3章16節の言葉を導き出すのです。 ユダヤの最高議会の議員であり、律法の教師でもあったニコデモが「夜」ひそかにイエスのもとを訪れました。それが人目を憚ってのことだったのか、それとも誰にも邪魔をされないイエスとの静かな会見を求めてのことであったのか、正確なことはわかりませんが、彼が自分の心に「夜(闇)」を持っていたことは確かです。人間はだれでも心に闇を、「夜」を抱えています。その夜について考え出したら、眠れなくなる夜です。いいえ、眠れないというよりは、そのまま眠ってはいけない。その暗闇を明るくするために、本気で光を求めなければならない夜があるのです。 今週も大切なことを大切に。