土の器

宮本牧師のブログ

いつもとはちがう待降節

コロナ禍で迎えた待降節。どのようにクリスマスを祝ったらいいでしょうか。いつものようなお楽しみは少ないかも知れません。しかし、いつもとはちがう待降節、いつもとはちがうクリスマスの真実を深く味わう待降節にしたいと思います。そこで、今年はヨハネによる福音書の1章1節から18節までをくり返し黙想したいと思います。 ヨハネ福音書には、所謂クリスマス物語がありません。天使も、マリアもヨセフも、羊飼いも博士も登場しません。しかし、独り子の神(ヨハネはこの方を「言(ロゴス)」と呼びます)が人となられた、その神秘を何のためらいもなく、真っ直ぐに伝えます。14節、「言は肉となって、私たちの間に宿られた」と。これを「受肉」と言います。つまりこう言うことです。人間の目に見えない神が見えるものとなり、人間の言葉で人間に語るために、神は人となられた。また、触れたり掴んだりすることのできなかった神が、人間がこの手で触れることのできるものとなるために、人の姿となられた。そして、不死のものである神が、私たちの罪の贖いの供え物として、十字架にかかって死に、信じる者に永遠の命を与えるために、人となられたと言うことです。「ここに愛があります。」 今週も大切なことを大切に。