土の器

宮本牧師のブログ

祈りの人

先日の礼拝で紹介した渡辺和子先生の「面倒だから、しよう」から。 「祈りを唱える人ではなく、祈りの人になりなさい。」これは、マザー・テレサがいわれた言葉のひとつです。1984年、11月も末のことでした。この日、マザーは、もう一人のシスターと一緒に朝早く新幹線で東京を発ち、原爆の地、広島へ旅されました。そこで平和、祈りについての講演をされた後、再び新幹線で岡山に来られ、教会をいっぱいにした人たちに話し、さらに、教会内に入り切れないで、モニターでお話しを聞いていた人たちにも、もう一度、短い語りかけをして下さいました。 その後、車で私どもの大学に移動なさった時は、すでに夜8時を過ぎていました。朝からの強行軍にもかかわらず、マザーは、床に座り込んで待っていた学生たちに、短いお話しをして下さったのです。 74歳のマザーを、構内にある私どもの修道院に宿泊のためにお連れした時、時計はすでに10時を過ぎていました。「お疲れでしょう。お休みください」とお部屋にお連れした私に、マザーは言われました。「今日はまだ、ご聖体の前で祈っていませんから。」そして、それから1時間、チャペルで祈り、翌朝4時半まで、お休みになりました。 マザーは、祈りの人でした。私も祈りを大切にしたいと考えていますが、とかく機械的にロザリオをつまぐっている自分に気づきます。そんな私の心を正してくれるのは、あの夜、一日の仕事を、祈りにすり替えることをせず、ご聖体の前で背をかがめ、頭を垂れて、手にロザリオを握っていらしたマザーのお姿なのです。そこには、ロザリオの祈りを唱える人ではなく、ロザリオを「祈る、祈りの人」としてのマザーのお姿がありました。「祈りを唱える人ではなく、祈りの人になりなさい。」 次の日曜日も、オンラインでの礼拝になりますが、自宅でも恵まれましょう。