土の器

宮本牧師のブログ

世の光たらん

三浦綾子さんの小説「塩狩峠」は明治42年(1909年)2月28日、宗谷本線塩狩峠で起こった実際の列車事故をモデルに書かれています。主人公のモデルとなった長野政雄さん(小説では永野信夫)は、私たちの教会のある名古屋市瑞穂区出身の方です。信夫は国鉄の職員で、札幌に赴任して間もない頃、職場で三堀という人物が他人の給料袋を盗むという騒動を起こします。そんなある日、雪の降る札幌の街で、路傍伝道をしていた伊木という伝道師の説教が信夫の心に触れます。伊木先生は、信夫を信仰に導き、十字架の意味がわからず、自らの罪が自覚できない信夫に、「聖書の一つの御言葉を徹底して実践してみなさい。そうすれば、自分が救われなければならない存在であることに気がつきます」と話します。そのような中で、眠れぬ夜に開いた聖書箇所が、ルカ福音書の10章でした。信夫は「善きサマリア人」の譬えを読みながら、他人の給料袋に手を出した同僚のことを思い出し、自分は彼の隣人になろうと決意します。すぐに彼を連れて上司の所に行き、二人はそろって旭川に転勤になります。 信夫は、婚約者を札幌に残し、傷ついている同僚の善き隣人、友となるために尽くすのですが、その気持ちは通じません。かえって、自分の過去を知る嫌な奴と思われ、恩着せがましい存在だと言われてしまいます。信夫は、その同僚の態度を不愉快に思います。その時、彼は気づくのです。自分の内に、その同僚を見下す思いがあったことを。そして、そのことに気づいた時、彼は自分が聖書の一つの言葉も実践できない罪深い存在である事実を突きつけられ、自分こそ救われなければならない人間であることを知り、ついに十字架を受け入れ救われるのです。その年のクリスマス、信夫が受洗するにあたって書いた信仰告白の証しが小説に出てきます。感動の証しです。 塩狩峠は、暴走する列車を、自分の身を挺して止める、自己犠牲の物語ですが、あの愛の奇跡は、ここから始まっていたのです。信夫は、列車事故が起こる前の夜、名寄の鉄道キリスト教青年会の集まりで「世の光たらん」という熱いメッセージを語っています。映画では最初のシーン。善きサマリア人、大きな愛に出会った永野さんの渾身のメッセージです。「あまねく世界を照らす光となろう。おのれの光を隠すことなく、あらわにしよう。陰りのない光を人々の前に輝かせよう。お互いにくり返しのきかない一生を、自分の命を燃やして生きていこう。そして、イエス・キリストの御言葉を掲げて、その光を反射する者となろう。」 塩狩峠は、人間にとって無くてはならない唯一のものが、絶対に価値あるものが、何であるかを私たちに伝えます。それは愛です。今こそここで、私たちも友のために命を捨てる大きな愛に出会い、私たちも愛の光を反射する者に変えていただきましょう。