土の器

宮本牧師のブログ

ドアノブは?

すべての人を照らすまことの光があって世に来ました。世とはこの世界のこと、また私たちのことです。世は言(キリスト)によって、彼のために造られたのに、彼に気がつきませんでした。彼は自分のところに来たのに、自分の民は彼を受け入れることができませんでした。 閉ざされた扉こそ私たちの現実です。確かに、あの日あの時、この扉を開いて世の光であるキリストを迎えたはずなのに、いつの間にか、気がつけば、キリストを外に追い出していると言うことはないでしょうか。 ホルマン・ハントが描いた「世の光」という絵にはこんな逸話があります。ハントがこの作品を完成したとき、彼の友人のひとりがアトリエまでこの絵を見に来ました。友人はその優美さに目を見張り、作品に込められた霊的な意味を見て取りました。しかし、しばらくして、友人はハントに言いました。「とても美しい絵だがね、一箇所だけまちがいがある。」画家は驚いて言いました。「まちがいって?一体どこだい。服や手の描写にまずいところがあるかね。」友人は答えました。「いや、そうじゃないさ。まちがいはほら、この戸だよ。とても美しく描かれているがね、ドアノブを描くのを忘れただろう。」ハントは友人に説明しました。ドアノブが描かれていないのは、決してまちがいではない、と。 もし外側にノブがついていれば、キリストの方から開けて入ることができるでしょう。しかし、この戸は、中からしか開けられないのです。「だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」つまり、キリストの声、戸をたたく音を聞いたなら、私たちが応答しなければならないということです。 さあ、感謝と喜び、愛を込めて、自分の意志で、堅く閉ざしていたその重い扉を開きましょう。「愛する主よ、どうぞお入りください」と。 自分の力だけでもがき、挫折してきたことが、招き入れた方の力によって、可能性へと変えられていく。これこそが、瀕死の世界に新たないのちの希望をもたらす福音なのです。 Open the door! Now! 明後日、12月24日はクリスマス礼拝です。聖歌隊のキャンドルサービスと降誕劇を中心にした音楽礼拝です。ぜひお出かけください。こども部屋もあります。家族そろってお出かけください。