土の器

宮本牧師のブログ

クォ・ヴァディス

十字架の前夜、最後の晩餐の席でのことです。イエスは弟子たちの足を洗い、「互いに」愛し合うという新しい戒めを弟子たちに語られました。その中で、イエスが「私が行く所にあなたたちは来ることができない」と語られたことに対するペトロの反応から、イエスはペトロの離反を予告されました。「鶏が鳴くまでに(夜が明けるまでに)、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」この予告は現実となります。それは18章で学ぶことになりますが、ペトロがここで語った、「主よ、どこへ行かれるのですか」という言葉は大変印象的です。 ポーランドの作家シェンキェヴィッチの歴史小説クォ・ヴァディス岩波文庫は「クオ・ワディス」)」は、暴君と呼ばれたローマ皇帝ネロの時代を舞台に、初代教会の様子が随所に散りばめられた名作です。ローマでの迫害が激化する中、信徒たちはペトロにローマを離れるように勧めます。ペトロは後ろ髪を引かれる思いで、ナザリウスという少年とともにローマを出ました。そんな彼が、アッピア街道で、キリストを出会います。ペトロは、持っていた杖を地面に落とし、ひざまずき手を伸ばし言います。「クォ・ヴァディス・ドミネ。」「主よ、何処にか行き給う?」 するとペトロの耳に悲しくて甘い声が聞こえてきます。「あなたが私の民を捨てるのなら、私は再び十字架にかかるために、ローマに行こう。」ペトロは顔を地面につけ、言葉もなく地に伏していましたが、やがて起きあがると震える手で杖を取り上げ、何も言わずに来た道を引き返し、ペトロはローマで殉教の死を遂げるのです。この話は、初代教会の言い伝えをベースにした、フィクション(創作)ですが、ペトロの言葉だけは、ノン・フィクションです。ヨハネ福音書13章36節、「シモン・ペトロがイエスに言った。『主よ、どこへ行かれるのですか。』」 主の御心がはっきりとわかれば感謝です。しかし、いま分からなくても、人生の曲がり角で、「主よ、何処へ」と尋ね続け、イエスについて行く、私たちとならせていただこうではありませんか。あの日のペトロのように。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」 二人の対話の続きはこうです。ペトロの問いに、イエスが「今はついて来ることができない」と答えると、ペトロは言います。「あなたのためなら命を捨てます」と。しかし、イエスは「わたしのために命を捨てると言うのか」と言葉を返し、彼の離反を予告されました。イエスが言いたかったことは、どういうことだったのでしょう。「あなたが私のために命を捨てると言うのか。それは頼もしい、確かにその日が来る。でも今ではない。まず、私があなたのために命を捨てるのです。そして今ではなく、その後、あなたは私のついて来ることになるのです。」主の御心に感謝します。 今週も大切なことを大切に。