土の器

宮本牧師のブログ

罪と何のかかわりもない方を

神殿で語るイエスの教えに耳を傾けていたユダヤ人の宗教家たちが、「この人は学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」とイエスの教えに驚いていると、イエスは言われました。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしをお遣わしになった方・・・神から出たもの」と。これは、わたしは神から遣わされた者、メシアであるとの宣言です。そして言われました。「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。」ここに神の栄光のみを求めるキリストの真実があります。 この方(キリスト)には「不義がない」との言葉に注目しましょう。聖書は言います。「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。(本当はこの方には不義がなかったのに、偽りはなかったのに、私たちのために罪となさいました。)わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」「だから兄弟姉妹たち・・・信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖と贖いとになられたのである。」 先日、聖イエス会創立70周年を記念して出版された「アシジから来た十字架」というM牧師のエッセイ集が届きました。神学生の頃、M牧師が折にふれて話してくださった聖イエス会の歴史が綴られていて、個人的には懐かしさを感じながらページをめくりました。タイトルの「アシジから来た十字架」とは、京都の嵯峨野教会の祭壇に掛けられている古い木彫りの十字架のことです。神学生時代、何度この十字架を仰いで赦しと慰め、愛と力をいただいたことでしょう。十字架は今日もあなたの言葉で語っています。「地の果てのすべての人よ、わたしを仰いで救いを得よ」と。 ああ、私の救いの源である十字架。私を清め神化する十字架。十字架、十字架わがすべて!