土の器

宮本牧師のブログ

なすべきこと

聖書は復活のキリストに出会った弟子たちの姿を描きますが、「わたしにも現れた」と言ったのは使徒パウロです。復活のキリストとパウロとの出会いについては、使徒言行録の9章に記されています。パウロの回心と言われる出来事ですが、真昼の太陽よりもまばゆい天からの光に打たれたパウロは「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と語られる声を聞きました。私は思います。パウロの回心とは、天からの光りに打たれるという超自然的で神秘的な体験のことではなく、「あなたのなすべきことが知らされる」ということだったのではないかと。十字架の上ですべてが終わりました。それはまた新しいことの始まりでもあったのです。これが十字架と復活の真実です。 経営学の父と呼ばれるピーター・ドラッカーとテキサスの企業家ボブ・ビュフォードの魂の交流を描いた「ドラッカーと私」という本を読みました。その本の中にクリスチャンであるビュフォード氏が成功を遂げた後、ある時からこういう声が聞こえるようになったと書かれていました。「ある時から、魂の奥の小部屋、そこからかすかなささやきを耳にするようになった。その声は問うていた。『これまで手にしたすべてを使って、お前は何をするつもりなのか。』」彼はその内なる声に真摯に向き合い、成功から意義ある人生に向かって歩み始めます。彼はそれを人生のハーフタイムと呼び、自分の人生の後半戦を神に献げることを決心し、それまでに得た経験と富を生かし、アメリカのビジョンを持つ牧師たちを励ましサポートしました。 広岡浅子さんもそうです。60歳の時、乳がんの手術を受け、目覚めたときの心境をこう綴っています。「私はこの時、『天はなほ何をかせよと自分に命を貸したのであらう』と感じて、嬉しいと云うよりは非常に責任の重いことを悟りました。其の後私は萬事を全く天に任せその刹那に感じた偉大な力を再び味ひたいと願いつつ、或いはこれが人の云う神ではなからうかと、絶えず憧憬しておりました。」後日、軽井沢で神に触れられるという経験を経て、彼女も残りの人生を神に献げて行かれたのです。このように人の人生が全く変えられて行く、ここにキリストの十字架と復活の真実があるのです。 イエスは重ねて言われます。「あなたがたに平和があるように、父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」と。 次の日曜日、名古屋教会では春の聖会と宣教セミナーを開催します。講師は東京品川になる聖イエス会栄光教会の根村誠牧師です。 なすべきことが知らされますように。