土の器

宮本牧師のブログ

安息

エスは神を「わたしの父」と呼びながら言われました。「わたし父は今に至るまで働いておられます」と。創世記には、神が創造の業を成し終えて7日目に休まれたと書かれていますが、創造された天地宇宙を動かし、保持し、支配するという働きは続いていました。God is workingです。詩編121編4節にこう書かれています。「見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない。」私たちに安息を与えるために、休まれることのない父なる神に感謝です。そこでイエスは言われます。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコ2:27-28)。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」(同3:4)。あなたはほんとうに「良くなりたいか。」「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのである。」「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と。 安息日の重要性は、安息日の律法にあるのではなく、安息日の主に出会うところにあります。安息とは、安らかな息と書くわけですが、毎日息の詰まるような、息の切れるような生活を送っている私たちにとって、真の安息はキリストに出会うことなのです。 パウロは言います。「だから、あなたがたは・・・祭りや新月安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります」(コロサイ2:16-17)。アーメン。 今日は午前中、松阪での聖書講座でした。