土の器

宮本牧師のブログ

床を担ぐ

ベトザタの池において、38年寝たきりであった病人がイエスのひと言葉をもって癒され、死から命に移されたという奇跡物語は、思わぬ展開を見せます。この奇跡が引き金となって、宗教指導者たちとの安息日論争が勃発し、神を「わたしの父」と呼ぶイエスの主張とイエスの権威に関する証しが、長い説教という形で続きます。 ベトザタの池で病人の癒しがなされましたのは、安息日(シャバット)のことでした。金曜に日没から土曜の日没まで、礼拝のためにすべての働きを止めるのが安息日です。その起源は、創世記の神が天地創造の後に、7日目に休まれたということであり、モーセ十戒に、安息日を聖とするように命じられていることにあります。それはユダヤ教の信仰の中心であり、例祭と呼ばれる種々の祭よりも重んじられていました。 運搬は労働であり、床を担ぐことは運搬で、安息日には律法で禁じられている行為でした。目敏いユダヤの宗教家たちは、病を癒され嬉しそうに床を担いでいる男を発見して声をかけました。床と言っても茣蓙のようなものを丸めたものだったと思いますが、「今日は安息日だ、床を担ぐことは律法で許されていない」と。しかし、男は「わたしを癒してくださった方が『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えます。すると、そう言ったのは誰だという話しになりましたが、男はそれがだれかわかりませんでした。後で、神殿でイエスに会い、自分を癒したのはイエスだと証言します。ユダヤの宗教指導者たちは矛先をイエスに向け、追求を始めます。聖書には「イエス安息日にこのようなことをしておられたからである」とありますが、「しておられた」とは習慣を表し、イエスがこの時一度ではなく、くり返し安息日の律法を破るような行為をしていた常習犯であるとの意味があります。他の福音書には、ベトザタの池の奇跡は出てきませんが、安息日に会堂で手の萎えた人が癒された奇跡を通して、宗教指導者たちとイエスとの対立が始まったことが描かれています。 さて、イエス安息日に律法で禁じられていることをしていると追求されたのですが、イエスは父なる神との関わりにおいて、その正当性を主張されます。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのである。」かみ合わない会話がヨハネ福音書の特徴だと話していますが、ここもそうです。安息日に床を担がせたことをきっかけに、ここから安息日に神の働きを続ける神の御子イエスの使命が語られていくのです。 今週も大切なことを大切に。