土の器

宮本牧師のブログ

白く輝く畑

あの婦人に先導されて、シカルの町の人々が集まって来る光景を眺めながら、イエスは語られました。「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている」と。 日本語の聖書は、「色づいて」と、とても上手に訳していますが、原文のギリシャ語ではレウコス、「白く」とか「輝く」という言葉で、あの変貌山でキリストの衣が白く輝いたと訳されているのと同じ言葉が使われています。麦畑が黄金色よりも、もっとまばゆく輝いている様子を言っているのでしょうか。あるいは、当時の人々の衣装と言えば、大体が白っぽい長衣ですから、緑の麦畑の間を縫うようにやって来る人たちで、実際に畑が白く見えたのでしょうか。いずれにせよ、イエスは白く輝いた刈り入れ時の畑(霊的刈り入れの時代)をご覧になったのです。 あの婦人の証言によって、多くのサマリア人がイエスを信じました。彼らが自分たちのところに留まるように頼んだので、イエスは2日間そこに滞在されましたが、その結果、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じます。彼らは、婦人に言いました。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったから」と。 イエスはこのリバイバルの光景を思い描きながら、「わたしの食べ物(使命)とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」と、満足げに語られたのですが、私たちの目にはいま何が映っているのでしょうか。現代という複雑な社会、目の前に山積している問題、惨めな自分自身の姿・・・。しかし、信仰の人の眼差しは別のものを見ています。あの日から二千年、イエスが見ておられた霊的刈り入れの時代がやって来ました。私たちも信仰の目を上げて、イエスが見ておられた白く輝いた夢の畑を見させていただきましょう。「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。」 次の日曜日は、9月のOPEN CHURCH、夏の終わりのコンサートです。 ぜひお出かけください。(ドリンクのサービスあり)