土の器

宮本牧師のブログ

御名を知る

エスに愛された弟子ヨハネは、十字架を目前にして祈られたイエスの最後の祈りをここに記録しました。それは弟子たちのための祈りでしたが、同時に、やがて弟子たちの宣教によって、未来信じる者たちのための祈りでもありました。こう祈られているからです。「彼らのためだけではなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも、お願いします」と。イエスは、最後に祈られました。「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」 少しわかりにくい言葉かもしれませんが、ある聖書にはこのような解説が付けられていました。「わたしに対するあなた(父なる神)の愛が彼らの内にあり」とは、「あなたが私を愛しておられるのと同じ愛で、あなたが彼らをも愛されるため」という意味であり、「わたしも彼らの内にいるようになるため」とは、「私があなたを愛しているのと同じ愛で、私が彼らを愛するため」という意味であると。要するに、父なる神とイエスと弟子、三者が愛において一つになるために、御名を知らせました。御名を知らせ続けますと言うのです。 イエスはその愛の実りを刈り入れるために、まるで種を蒔かれるように、人々の心に神の種である御名を知らせて行かれました。そして、ヨハネはその声を聞きました。ヨハネの書いた福音書、手紙、黙示録において、次々と神の御名が語られているのはそのためです。 私たちは、イエスに愛されていることを何によって知ることができるのでしょう。もちろん、十字架です。しかし、それと同時に、私たちが呼ぶことのできる神の御名が知らされていることによって、その愛を体験することができるのです。 今週も大切なことを大切に。 今年からブログの更新は、日、月、木、金の予定です。