土の器

宮本牧師のブログ

あなたのうちにあるベツレヘムの井戸

ダビデと共に、ダビデの子であるキリストも渇いておられます。「だれか、ベツレヘムのあの井戸の水を汲んで来てくれるとよいのだが。」主は十字架の上で、どんな苦痛も耐え忍ばれましたが、ただ渇きについてのみ訴えられました。この夏、教えられているイザヤ書の言葉によれば、主はかわいた地である私たちが水の源に変えられることに渇いておられるのです。それは十字架の贖いによって、荒野や砂漠のような人も、喜び楽しみ、かつ歌うためです。あの日あの時、私たちのうちに開かれた命の泉は、何者かに奪われてはいないでしょうか。 ああベツレヘム・・・。それはダビデの子であるキリストが生まれた場所です。それであるなら、キリストが生まれてくださった私たちの心も、もうひとつのベツレヘムです。主の声が聞こえます。「あなたのうちにあるベツレヘムの井戸から湧き出る透き通った命の水に、私は渇いている。だれか!ベツレヘムのその井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのだが」と。 宣教ボランティア3日目、昼を挟んで忍野八海に連れて行っていただきました。忍野八海は、富士山の雪解け水が地下に蓄えられ、20年の歳月をかけてろかされて湧き出るという山梨県忍野村にある涌泉地です。とても素敵な場所でした。帰り道、小山教会で感謝な午後の祈りの時を持たせていただきました。