土の器

宮本牧師のブログ

全地は暗くなり

マタイは十字架をどのように描いたのでしょうか。彼のカメラワークに注目しましょう。 彼は、苦しみゆがむイエスの表情ではなく、少し引いたアングルで、ゴルゴタの丘の光景を描き始め、その様子を受難のメシアの預言に重ね合わせました。「彼(メシア)は罪人のひとりに数えられた。背いた者のために執り成したのは、この人であった」と。 マタイはカメラを少しずつ十字架に近づきます。十字架を取り巻く人々の声が聞こえてきました。人々はイエスをののしり、口々に「お前が神の子なら、十字架から降りて来い」と言う声が飛び交っています。しかし、真実はその逆でした。イエスは神の子だったから、十字架から降りてくることができなかったのです。私たちを救うために、自分を救うことができなかったのです。 そして、マタイのカメラはついに十字架上のイエスに向けられます。しかし、「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」と、暗闇の中でその表情をうかがい知ることはできません。まるで皆既日食のように、白昼太陽が光を失いました。「その日が来ると・・・わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」と語ったのは預言者アモスでした。まるでエジプトに臨んだ暗闇の災いのような、深い闇が全地を覆ったのです。そして、ただ声だけが響きました。 今日は豊田教会で持たれた葬儀に参列させていただきました。出棺の時、「ごめんね」「ありがとう」そして、最後に「行ってらっしゃい」と声をかけられた子どもさんたち声はきっとお母さんに届いていることでしょう。私からも、「ありがとうございました。また会う日まで。」