土の器

宮本牧師のブログ

人間模様

2ヶ月ほど間が空きましたが、先日の礼拝でマタイによる福音書のシリーズを再開しました(と言っても、次の日曜日はいないので、また1回抜けますが)。2011年の正月から始まったマタイ福音書の学びも、すでに100回、3年を越える長編シリーズになりました。NHKではありませんが、毎週日曜日にマタイの描いたキリストの物語を鑑賞してきたわけで、まさに大河ドラマ級のシリーズです。マタイによる大河福音書も佳境を迎えています。昨年の後半、キリストの最後の一週間から、十字架の朝の光景まで見てきました。今年はその続き、いよいよ十字架と復活の場面に入ります。 覚えていますか。マタイ福音書の27章には、イエスの死に関わる人間模様が描かれています。主を三度も否み、外に出て激しく泣いたペトロ。主に最後まで「友よ」と呼ばれながら、銀貨30枚で主を売り、自らその命を絶ったイスカリオテのユダ。イエスに死罪を宣告したローマ総督ピラト。そして、それを取り巻く宗教家、群衆、ローマ兵。 キリストの死に関わった彼らは、私たちよりも罪深いのでしょうか。いいえ、彼らは私たちと何ら変わらない平凡な人々で、私たちにも彼らと同じ罪や弱さがあります。ですから、私たちは、なぜかペトロの失敗を笑えません。イスカリオテのユダの裏切りを責められません。そして、ピラトの保身的な生き方、優柔不断さ、誤った選択についても、それを非難し、責任を追及できないのです。「あなたもそこにいたのか」というゴスペルがありますが、もし私たちが二千年前に、あの場所にいたならどうしたのでしょうか。キリストの受難に遭遇した人々の視線や息遣い、その場の景色や空気を感じながら、ここに登場するもう一人の人物に注目したいと思います。 今日は半田、西尾方面にいる信徒のお宅を訪問し、祈りのひと時を持たせていただきます。