土の器

宮本牧師のブログ

注がれたにおい油

賢いおとめが絶やさないように用意を整えていた油とは何でしょう。 聖書が油と言うとき、多くの場合、それは聖霊を意味します。ですから、賢いおとめとは、絶えず聖霊に満たされることを求めている人のことです。ここに終末を生きる私たちに求められる賢さがあるのです。では、どれくらい聖霊に満たされればよいのでしょうか。詩編133編の言葉がひらめきました。「それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ」と歌われているくらいです。モーセの兄、大祭司アロンに任職の油が注がれました。その油は一滴や二滴ではありませんでした。その頭に注がれた油は、ゆっくりとアロンのひげに滴り、首すじを伝わり、その衣のえりにまで流れ下りっていったのです。それほどたっぷりと聖霊が注がれ、その恵み浸されますように。雅歌の花嫁も歌います。「あなたの名は注がれたにおい油のようです。」 声が聞こえます。「花婿だ!迎えに出なさい。」 夏休み最初の週末。明日も礼拝は、朝10時半から。ぜひご来会ください。 今日はこれから志摩市のテベリヤ教会での礼拝に出掛けます。