土の器

宮本牧師のブログ

失われた銀貨

マタイは記しませんでしたが、ルカが記したもう二つ目の譬え話も興味深いものです。有名な失われた羊の話と放蕩息子の話に挟まれて、失われた銀貨の話はあまり語られることがないように思うのですが、ここにも見捨てない神の愛を見ることができるのです。 こちらも「日本人に贈る聖書物語」の描写を紹介しておきます。「話を聞いて、今度は女たちが泣き始めた。自分たちは、そのドラクメ一枚を稼ぐために体を切り売りしてきた。ドラクメ銀貨こそがすべてだと思ってきた。しかし、自分の価値がそれ以上のものだということを知らなかった。イエスが、初めてそのことを教えてくれた。今私は叫びたい。『神は失われたコインをこの世の割れ目から拾い上げてくださった』と。」 1ドラクメ(ギリシャの貨幣)とは1デナリオン(ローマの貨幣)に相当しますが、労働者の一日の賃金です。それは貧しい女性にとって小さなお金ではありませんでしたが、必ずしも大金というわけでもなく、どこかであきらめのつく程度のお金ということができます。ではどうして、彼女は執拗なまでにこの銀貨を捜したのでしょう。この譬えを聞いていた人々にはこの銀貨がどういうものなのかすぐにわかりました。当時の女性は、紐に通した10枚の銀貨を首飾りや髪飾りにして、肌身離さず身に付け、大切にしていました。それは結婚指輪に代わるものだったのです。ここで女が無くした銀貨とは、その一枚だったのでしょう。それは銀貨の値打ち以上に、彼女にとってはかけがえのないものだったのです。