もう一度やろう!
京都での秋期聖会を終え、向こう3年間の大きな指針をいただき、名古屋に戻って来ました。
それは今日までもくり返し語られてきたことであり、語り尽くされたことであるかもしれないが、
今朝、それを祭壇で祈っていると、「もう一度やろう」との思いが込み上げてきた。
たとえ時間をかけて積み上げてきたものを壊されたとしても・・・。
以下、イギリスの作家ギルバート・ケイス・チェスタトンの論評「正統とは何か」より。
太陽は毎朝東から出る。
太陽が毎日規則正しく昇るのは、ひょっとすると、昇るのに飽きないからである。
毎日同じことをくり返すのは命がないからではなく、命があふれ、ほとばしっているからである。
私の言わんとすることは、たとえば子供のしていることを見ればよくわかる。
特別面白い遊びや冗談が見つかったとき、子供はどうするか。
同じことを飽くこともなくくり返しているはずだ。
子供がリズムに合わせて足で地面をけり続けるのは、活力がないからではなく、ありあまっているからだ。
子供は活力にあふれているからこそ、力強く自由な精神に恵まれているからこそ、
同じことを何度でもくり返し、くり返し続けて飽きることを知らぬのだ。
子供はいつもそうで「もう一度やろう」と言う。大人がそれに付き合っていたら息もたえだえになってしまう。
大人は歓喜してくり返すほどの力をもたないかもしれない。
しかし神はどこまでも歓喜してくり返す力を持っている。
だから、もう一度やろう。
今日は午後から病院を訪問。感謝な祈りのひと時を持たせていただきました。