土の器

宮本牧師のブログ

水が動くとき

ペンテコステ聖会 礼拝メッセージ 「水が動くとき」 矢野亨師(洛西ミズラ教会) 聖書 ヨハネによる福音書5の1〜9、エゼキエル書47の9 エゼキエル書 47:9 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。 ヨハネによる福音書 5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスエルサレムに上られた。 5:2 エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。 5:3 この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。 5:3 (†底本に節が欠落 異本訳)彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。 5:5 さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。 5:6 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 5:7 病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」 5:8 イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 5:9 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。 午後からの集会は「この川が流れる所」と題して、エゼキエル書47の9、ヨハネによる福音書7の37〜39からメッセージが語られました。主の御名で心が満たされる幸いな聖会でした。礼拝では、先週、松葉杖をついて礼拝に出ていた女の子の癒しの証詞があり、一同、主の御名を賛美いたしました。栄光在主!