土の器

宮本牧師のブログ

揺れ動く地に立ちて

遠き国や海の果て いずこにすむ民も見よ なぐさめもてかわらざる 主の十字架は輝けり なぐさめもてながために なぐさめもてわがために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ 水はあふれ火は燃えて 死は手ひろげ待つ間にも なぐさめもて変わらざる 主の十字架は輝けリ なぐさめもてながために なぐさめもてわがために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ 仰ぎ見ればなど恐れん 憂いあらず罪も消ゆ なぐさめもてかわらざる 主の十字架は輝けリ なぐさめもてながために なぐさめもてわがために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ ---「とおきくにや」聖歌397番 "There's a light on the cross" J.V.Martin,1923 あの日から、明日で一年。思うように進まない被災地の復興。寒い季節を仮設住宅で過ごされた方々のことを心配しています。原発の問題はいまだに終息に向かう気配すら感じられません。最前線で苦労しておられる方々の働きが守られることを祈ると共に、この国によい知恵が与えられることを祈っています。 今から89年前の9月、関東大震災の起きた夜に生まれた賛美歌があります。作詞・作曲をしたJ.V.マーチン宣教師は、大阪市立高等商業学校(現・市立大学)の英語講師として大阪に住んでいました。この日たまたま東京に来ていた彼は、被災者を見舞うために、芝白金の明治学院のグランドへ向かいました。夕闇せまるグランドには大勢の人たちが、肩を寄せ合うように集まっていました。数は十分ではなかったでしょうが、グランドで夜を過ごすために、蚊帳(かや)と、ろうそくが支給されました。9月になったばかりで、まだまだ残暑が厳しい時期、しかも、まだあちらこちらで火がくすぶり、時折襲ってくる余震に怯えながら、愛する家族を、帰る家を失い途方にくれた人々からは、あちこちからすすり泣く声が聞こえてきました。 マーチン師自身、深い悲しみの思いを抱いて、瓦礫と化した街を通りながら、その絶望と悲しみに包まれたグランドに近づいて行きました。その彼の目に飛び込んできたのは、暗闇の中に浮かぶ十字架でした。それは蚊帳の中で灯されたろうそくの光でした。彼にはそれが絶望の闇に光り輝く十字架に見えたのです。マーチン師はその場でペンをとり、すぐにこの詩を書きしるし、大阪に戻って、曲を完成させたと言われています。 どんな絶望的で、動揺するような状況の中でも、なお十字架は輝いています。さあ、十字架のもとへ。