土の器

宮本牧師のブログ

一呼吸

今年は毎週の礼拝でマタイによる福音書を学んできました。元徴税人であったマタイは、冒頭に救い主誕生の経緯をヨセフ目線で記しています。マリアと婚約していたナザレの大工ヨセフに天使が現れ「その名をイエスと名づけなさい」と告げるのです。詳訳聖書でその言葉を見てみましょう。 「あなたはその名をイエスと名づけなければならない。このかたこそご自分の民をその罪から救われる〔彼らが人生の真の目的と目標(神こそそれである)ことを見失うことのないようにされる〕からである。」 有名なユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーは「人生は出会いで決まる」と言いましたが、ここでマタイは「人生の真の目的と目標、神こそそれである」と宣言します。この言葉の中に、彼自身の体験を伴う特別なメッセージをあるようです。 福音書という一冊の本は、著者がペンを走らせたものもあれば、口述筆記というかたちで記録されたものもありますが、今日の一節を書き始める前に、マタイは一度ペンを置き、一呼吸おいて、深い感動に震えながら記した(あるいは話した)のではないかと思います。 「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」 今日は名古屋で教区の先生方の集まりが持たれました。毎月、わかちあいや学びの時間を持っていますが、この秋、神学校でさせていただいた青年の育成に関する授業を、教区の若い先生にも聞いていただこうとお話しました。みんなが高校生大会や青年宣教セミナーに参加していた時代のことを思い出しながら、人を育てることの大切さを思いました。