土の器

宮本牧師のブログ

アンネ・フランク・パネル展

オットー・フランク氏との出会いから40年・・・。その場に居合わせたわけではないが、運命を感じるストーリーだ。ユダヤ人でもない自分が、どうしてこれほどまでに、彼らの痛みに共感しようとするのか。ずっとその答えを求めてきたように思う。今もその答えを求めている・・・。パネル展に来られる方にとって、アンネやオットーさんとの出会いが、それぞれの人生に何かの問いを投げかけるものであって欲しいと願っている。 今回、大手新聞各社がパネル展のことを写真入りで大きく紹介してくださったこともあり、朝から、新聞を見たという人が次々と足を運んでくださっている。展示を一枚一枚、ていねいに時間をかけて見てくださる方、遠くは岡崎や浜松から来られた方もいる。静かな礼拝堂を歩きながら、何を思っているのだろう。 「アンネの日記」で知られ、第二次世界大戦中のユダヤ人大量殺りくで15歳の生涯を終えたアンネ・フランクについて、当時の様子を写真で知ってもらおうというパネル展が30日、瑞穂区岳見町の聖イエス会名古屋教会で始まった。2日まで。写真パネルは34枚で、オランダ・アムステルダムの「アンネ・フランク・ハウス」が、2009年にアンネ生誕80周年を記念して作成。一家が隠れていた家の内部や、収容所内で丸刈りにされたユダヤ人の様子を写した。一家で唯一生き延び、アンネたちの悲劇を伝えてきた父オットーは生前、「『世界と人類のために働きたい』と願ったアンネの仕事を続けたい」と話したという。同教会の宮本博文牧師は「アンネの言った仕事とは、平和のために自分たちができることを始めることだと思う」と話していた。開館は1日午前10時〜午後8時、2日正午〜午後6時。入場無料。(2011年10月1日 中日新聞) 「アンネの日記」で知られ、第2次世界大戦中にナチスユダヤ人大量虐殺の犠牲となったアンネ・フランク(1929〜45年)の生涯と時代を写真でたどるパネル展が30日、名古屋市瑞穂区岳見町の聖イエス会名古屋教会で始まった。2日まで。聖イエス会は1971年から、一家で唯一生き残ったアンネの父オットー・フランクさん(80年死去)と交流を続けた。展示パネル34枚は、オランダ・アムステルダムに本部があるアンネ・フランク財団が、アンネ生誕80周年の2009年に制作した。両親の結婚からアンネの誕生、一家や学校での生活、直筆の日記、隠れ家で暮らした人たちなどを紹介している。同教会の宮本博文牧師(46)は「オットーさんは生前、日本人へのメッセージの中で、アンネの悲劇的な死に同情するだけでなく、平和をつくり出すため、何かをする人になってほしいと書いていた」と話している。(2011年10月1日 読売新聞) 名古屋市瑞穂区の聖イエス会名古屋教会で30日、「アンネ・フランク パネル展」が開幕する。同教会は「もし神様が私を長生きさせてくださるなら、私は世界と人類のために働きます」との日記の一節から、「アンネの仕事を続けよう」をテーマに掲げた。アンネ・フランク財団作成のパネル34点を展示し、「アンネの日記」の著者で第二次世界大戦中にナチス・ドイツ強制収容所で亡くなったアンネ・フランク(1929〜1945)の生涯をたどる。パネルはナチスの迫害から逃れるため住んだ隠れ家の写真や家の構造、日記の一節など。末期の記述、「人は根本的には善良だと思います。(略)平和と静けさがもう一度戻ってくる」の言葉も紹介する。聖イエス会は、アンネの父の故オットー・フランク氏と71年から交流する。聖イエス会がオットー氏と出会って今年で40年になるのを記念し、初めてパネル展を開く。同教会の宮本博文牧師(46)によると、オットー氏は生前、同会に「日本のみなさんへ」として「その悲劇的な死に同情を寄せてくださるだけでなく平和を作り出すために何かをする人になってほしい」とのメッセージを寄せたという。宮本牧師は「今の世代や次世代の人に、この事実を思い出してほしい」と話している。入場無料。10月2日まで。(2011年9月30日 毎日新聞) 今日は、夜8時まで、明日は午前中、平和を祈る礼拝が礼拝堂でささげられ、パネル展は正午から6時まで。 平和を祈る礼拝も、どなたでも参加できます。ぜひ、お出掛けください。