土の器

宮本牧師のブログ

手を伸ばして

レプラ患者は、隔離地区にも風の便りで伝えられたイエスのうわさを聞き、まだ見ぬこの方にすべての望みを託そうと、決死の覚悟でイエスに近づきました。彼が規定に従って、「汚れた者がここにいます」と叫びながら現れるや否や、群衆は蜘蛛の子を散らすように、彼から離れていきます。騒然とした現場の様子を他所に、マタイは美しい光景を描きます。彼は「イエスに近寄り、ひれ伏して、『主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります』」と言った。それは、敬虔な礼拝の姿でした。 マルコ福音書の平行箇所を岩波書店の聖書はよく訳しています。「彼は乞い願い、ひざまずいて言う、『もしお望みならば、私を清めることがおできになるのですが。』するとイエスは、腸がちぎれる想いに駆られ、その手を伸ばして彼に触り、彼に言う、『もちろんだ、清くされなさい。』」腸がちぎれる想い、「スプランクニゾマイ」というギリシャ語は、神の憐れみを表す特別な言葉です。恐ろしい皮膚病に冒され、生ける屍と化した彼が、なお望みをもって、ご自分に近づいて来るのをご覧になったとき、イエスの御心はズキズキと痛みました。もう放っておくことができなかったのです。 もし彼がイエスの一言葉で癒されたとしても、彼は感動に胸を震わせたでしょう。もしイエスの祈りによって癒されたなら、それでも彼は喜びに胸を膨らませたでしょう。しかし、彼が一イエスに近づいた時、イエスはそれ以上のことをされたのです。だれも近づいてはならない者に、だれも触れてはならない者に、イエスは近づき、手を差し伸べて触れてくださったのです。何という感動的な光景でしょう。今日も主の手があなたに向かって動き始めています。 台風が過ぎ、いっきに秋になった感じですね。今日から京都の聖会が始まります。明日の午前の集会はヨハネ会部とCS部が担当の次世代への集会です。ぜひお祈りください。名古屋教会での礼拝は通常通りです。祝福がありますように。