灯台は遙か
灯台は遥か沖を照らせど
手にあるともしび 岸にまたたく
手にあるともしび 照らし続けよ
悩むふなびとの めじるしとならん
闇は海覆い ほゆるがごとき
波に人々の うれわしげなる
手にあるともしび 照らし続けよ
悩むふなびとの めじるしとならん
照らせなが光 港口にて
道を失いし 船もや助けん
手にあるともしび 照らし続けよ
悩むふなびとの めじるしとならん
---「灯台は遥か」聖歌 523番
明日の礼拝で聖歌隊が賛美するPhilip Blissの「灯台は遙か」です。原題は「Brightly Beams Our Father's Mercy」(我らの父なる神の憐れみの輝きを放て)ですが、おりかえしの歌詞の「Let the Lower Lights be burning」(低い灯台の火を燃やせ)が副題となっています。この曲はブリスが、有名は福音伝道者D.L.ムーディーの説教を聞いて書いたと言われています。その日のムーディーの説教は次のようなものでした。
嵐の夜、船員たちが頼りにしている星も見えない荒海で、一艘の船がクリーヴランド港を目指して、荒波と闘いながら、航行していた。『あそこにかすかに見える灯台の光は、確かにクリーヴランドの灯台か?』、船長は舵手にしつこく訊ねた。『船長、確かにあの光はクリーヴランドの高い灯台の光です』と舵手は答えた。『では、いつも目標にしている低い方の灯台の光はどこだ?』『消えていて目視できません!』『それでほんとうに港に着けると言うのか?』『やってみるしかありません! そうしなければ、このまま沈んでしまいます。』これまで数多くの嵐を乗り越えて来た経験豊かな舵手は、低い方の灯台の光を見つけ出すことのできないまま、クリーヴランド港を目指した。しかし、船は水路を誤り、岩場に乗り上げ座礁、多くの人々が暗黒の荒海の中に投げ出された。その夜、低い方の灯台守りは「大きな灯台があるのだから、小さな灯台なんか役に立つこともないだろう」と思い、独り酒に浸っていたということだ。ムーディーはこの話を用いて、「天の父なる神は、大きな灯台となり、永遠の命という光をこの地上に送り続けていて下さるのだから、我々も小さな灯台となり、火を燃やし続けなければならない」と説いた。
これを聞いたブリスが作ったのが「灯台は遙か」(低い方の灯台の火を燃やせ!)だったのです。
明日もマタイによる福音書の山上の説教から、先週の「地の塩」に続く「世の光」という御言葉をシェアしたいと思います。