土の器

宮本牧師のブログ

あそこへ行こう

私たちから恐れを追放する神の愛、それは行動する愛です。愛とは動詞です。神は愛を示すために立ち上がられました。歴史を支配し、動かしておられる全能の神が、私たちを救うために立ち上がり、動かれたのです。神を動かしたのは、神の私たち一人一人に対する底知れぬ愛です。神の愛は弱さの中で嘆き、悩み苦しむ私たち人を見るとき、ジッとしていることができなかったのです。こんな感動的な詩を読みました。 光が地上を見おろすと、あたり一面やみだった。「あそこに行こう」と光は言った。 平和が地上を見おろすと、戦争が目に留まった。「あそこに行こう」と平和は言った。 愛が地上を見おろすと、憎悪が目に映った。「あそこに行こう」と愛は言った。 こうして光は地上に現れ、暗闇を追い払った。 こうして平和は地上に現れ、戦争をやめさせた。 こうして愛は地上に現れ、いのちがもたらされた。 そして「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」のである。 今日もキリストは私たちの姿をご覧になってこう言っているのかもしれません。「あそこへ行こう!」 火曜日、志摩病院でのミニコンサート中、前列で声を押し殺すように泣いている若い女性がいた。ちょうど「君は愛されるため生まれた」を歌っている時だった。自分の存在を否定するような思いに支配されていた彼女を包む神の愛がそこにあった。今回、もうひとつの感動的な出会いがあった。日曜日のメッセージでお話ししようと思う。どちらも今年のクリスマスの名場面だ。