土の器

宮本牧師のブログ

愛がなければ

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。(?コリント13の1) 神にとっては、愛のない言葉はただの「騒音」にすぎません。私たちはしばしば、聴衆を沸かせるトークや、聞き手をうならせるメッセージ、洗練されたプレゼンテーションをもてはやします。しかし神は「そんなものにへ興味がない。あなたがどれほど雄弁であっても、愛がなければ何の意味もない。私の関心事は、そこに愛があるかどうかだ」と言われるのです。神が最も関心を持たれるのは、「どんな話しをしているか」ではなく、「話しかけている相手をどれほど愛しているか」なのです。愛がなければ、何を語ろうとも意味がないのです。 リック・ウォレンの新刊からです。わかっているつもりでしたが、愛を込めて語るということが心に迫りました。思い切って大胆に語りたいです。でも、もっと愛を込めて語ることができますように。「主よ、騒がしいどらややまかましいシンバルのようにではなく、愛をもって語るすべを 私に教えてください」(Mother Teresa)。ア−メン